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ホームページを見ていただき、ありがとうございます!
打ち合わせでは、お仕事のことから、会社の歴史、これからやってみたいことまで、いろんなお話を伺っています。ご本人には当たり前でも、私にはすごく魅力的に感じることがよくあります。
あなたらしい表現と、無理のない方法で進めることを大切にしています。
つくりたいものがある方も、何から始めようか考えている方も。
まずは、お気軽にお話しください。
どうぞよろしくお願いします😁
與座

第1章


子どもの頃、父によく言われた。
「お前は、センスがない」
中学・高校では、絵も文章も下手だと笑われていました。
それが今は、デザイナー。
見た目も、言葉も考える仕事です。
人生は、面白い。

自分自身でも、自分の日本語にはおかしなところがあるし、絵も上手でないことは分かっていました。
学校の授業で、先生やクラスメイトに笑われても、ウケているので嫌ではなくて。
私も、一緒に笑っていました。
でも、社会に出たら、何ができるんだろう。
何の役にも立てないんじゃないか。
そこは笑って済ませられず、内心は不安でした。

高校は、沖縄で。
在学中にアメリカへ交換留学し、沖縄へ戻って卒業しました。
絵は下手だし、デザインやアートは別世界。
美大や専門学校に行く発想は、ありませんでした。
やりたい仕事は、まだないまま。
日本にあるアメリカの大学へ進みました。

大学では、学費の高さも気になりました。
やりたいこともなかったので、在学費のかからない大学に転学し、そのまま休学しました。
大学に通わないのは不安でしたが、休学して就職しました。
事務員として入った会社には、たまたまデザイン部がありました。
遠いと思っていた世界が、同じ会社の中に。

あるとき、先輩に声をかけてもらいました。
「バナー、作ってみる?」
初めて、つくってみました。
あれ、できた。
しかも、楽しい。
別世界の人がやる仕事だと思っていたのに。
自分にも、こういうものがつくれるんだ。

第2章


少し、話を巻き戻します。
30歳までに、30回以上、引っ越しをしてきました。
沖縄で生まれ、福岡で小学校に入学。
1年生の途中で、沖縄へ戻りました。
ドッジボールのルールも、体操服も、粘土の色も違う。
生まれた場所なのに、私も転校生でした。

小学4年生の頃、沖縄からサウジアラビアへ。
日本人学校に通いました。
そこで出会った子たちは、育ちがよく、真面目に見えました。
同じ日本人の子どもでも、沖縄で通っていた学校とはずいぶん雰囲気が違う。
新しい友達との間にも、発見がありました。

その後、日本人学校の生徒が、私と弟の二人になったことがあります。
弟が休むと、全校生徒は私ひとり。
遊ぶ相手がいないので、ボールで壁当て。
飽きたら、ルールを足す。
また飽きたら、遊び方を変える。
考えるのも私。遊ぶのも私。
不思議と、寂しさはそれほどありませんでした。

サウジアラビアから戻り、沖縄の中学校へ。
私が入ったクラスは荒れていて、授業中に紙飛行機が飛んでいました。
真面目なのは、ダサい。
その教室には、そんな空気がありました。
サウジで出会った子たちとは、ずいぶん違う。
どう振る舞えばいいのか、戸惑いました。

中学2年生からは、トルコに引っ越し、インターナショナルスクールに通いました。
今度は、言葉も通じません。
人種を理由に、嫌な思いをしたこともありました。
それでも、どの土地でも、気づけば友達ができていました。
今もつながっている友達もいます。
合わない人や環境はあっても、引っ越しを嫌だと思ったことは、一度もありませんでした。

海外にいた頃は、いつも日本語に飢えていました。
今のように、ネットで日本の作品を楽しめる環境ではありませんでした。
持ってきた漫画を読む。
読み終わったら、また読む。
たまに、親戚のおじさんやおばさん、おじー、おばーが、新しい漫画を送ってくれました。
それが、心から楽しみでした。
漫画は、今も毎日読んでいます。

日本に帰国して、空港から移動する電車の中。
車内の広告も、周りの人たちの会話も。
窓の外を流れる看板も。
全部、日本語!
それだけで、大喜びでした。
看板にまで喜べるくらいに。

高校時代、絵しりとりをしたときのこと。
絵は下手でも、何を描いたかは伝わっていました。
今思えば、そこにはデザインとつながるものがあったのかもしれません。
授業でつくったパワーポイントの資料も、見た目を先生や先輩に褒めてもらいました。
でも当時は、自分では周りと変わらないと思っていました。

今も時々、パソコンで日記のように文章を書きます。
感じたこと、思ったこと。
心の中に、溜まったこと。
書き綴っているうちに、頭の中が少しずつ整理されていきます。
読むのが好きで、書くことも続いていた。
言葉の感覚は、そんな時間の中で育ってきたのだと思います。

第3章


写真も、趣味でした。
ガラケーやスマホで、撮っては編集していました。
あるとき、母が、祖母からこっそり預かっていたお金を渡してくれました。
そのお金で、はじめての一眼レフを買いました。
写真から、動画へ。
楽しんでつくるうちに、街で広告を見かけると、自分でもつくれるかもしれないと思うようになりました。

そういえば、父は美術館や博物館へよく連れて行ってくれました。
「センスがない」と言っていた、あの父です。
昔のホームビデオには、父のカメラを借りて、真似をして撮る私が映っています。
見ることも、撮ることも。
仕事になるずっと前から、身近にありました。

事務の仕事を辞め、専門スクールへ。
作品をつくっては、発表するようになりました。
個展を開く。
美術館で展示する。
映画祭で上映する。
楽しくてつくったものを、誰かが見てくれる。
別世界だと思っていたデザインやアート。
気づけば、私もその中にいました。

大学は卒業していません。
でも、大学院には入れました。
続けてきた制作活動を認めてもらい、特待生として。
クリエイティブも、ビジネスも学べる。
自分に合う学校に出会えました。
大学を休むときには不安だったけれど、つくってきたものが、次の道につながりました。

昼は広告の仕事、夜と休日は大学院へ。
経営者の先生やクラスメイトに刺激を受け、在学中に会社もつくりました。
大学院は、卒業できました。
会社の経営は……まったくダメでした。笑

学生時代、パン屋さんで働いたこともあります。
誰がやっても、3時間はかかる作業がありました。
慣れて工程を工夫するうちに、2時間で終わるように。
店長に驚かれ、進め方を聞かれました。
工程を工夫するのは得意。
でも、パンの数を数えるのは苦手で、よく間違えていました 笑

会社に勤めていた頃も、個人で制作を続けていました。
作品を紹介したくて、ホームページもつくりました。
その中でホームページのつくり方を学び、お客さんのホームページもつくるようになりました。
コードやプログラムを書くことは苦手ですが、AIや技術の進歩にも助けられながら、できることが年々増えています。

第4章


これまでには、体調を崩して寝込んでいたこともあります。
お腹いっぱいに、ご飯を食べられない時期もありました。
失敗したり、人前で恥をかいたり。
楽しいことばかりではありませんでした。
今振り返ると、成長できてきたのは、そういう苦い経験があったからだと思います。

そんな時期でも、AIやデザインソフトには、毎月お金を払い続けていました。
食べるものを我慢しても、
つくるための道具は、手放せませんでした。
どうせ、これから生きていくなら。
やりたいことで、生きていきたい。
あの頃、そう思ったのです。

やめたことも、やってみたことも、たくさんあります。
気になるから、やってみる。
「挑戦」のつもりはなく、そのとき一番納得できる方を選んできました。
やりたくないことを続けるくらいなら、空腹を選んでしまう。
でも、お腹はやっぱり減ります。
好きなことを続けて、ご飯も食べたい。
その方法を考えてきました。

彼女を追いかけて、千葉県茂原市へ。
独立したばかりの頃、この土地に知り合いはまったくいませんでした。
チラシを手に、飛び込み営業。
知らない人に、自分の仕事を伝えて回りました。
少しずつ依頼が増え、紹介や口コミで次の仕事へ。
この土地にも、知り合いが増えました。
今は、好きなことや得意なことで、暮らしていけています。
第5章


ホームページをつくるようになって、お客さんや、その会社のことを、もっと深く聞くようになりました。
何を大切にしてきたのか。
何に困っていて、これから何をしたいのか。
人の話を聞くのは好き。でも、会うときは緊張します。
好きなら平気、とはいかないようです。
相手に楽しんでもらおうと思うと、自分も少し楽になります。

話を聞くほど、提案も、相談されることも広がりました。
制作の相談から、事業の相談へ。
今は、何をつくるかも、どう進めるかも、一緒に考える。
その人に合う方法で、事業を支える仕事も増えました。
一つの見方にとらわれない。
いろいろな土地で、人や考え方に出会った経験も、ここにつながっている気がします。
相手の役に立てると、やっぱりうれしいです。

千葉の笠森観音で、「與楽の鐘」に出会いました。
「與」は、私の名字「與座」と同じ字です。
仏教の言葉「抜苦与楽」は、苦しみを取り除き、楽を与えること。
困っていることを少し軽くして、一緒に楽しめたら。
そんな仕事をしていきたい。
名字の「與座」と「与楽」を重ねて、Yorakuと名づけました。

好きで続けたことや、自然と続いたことが、いつの間にか得意になっていました。
漫画を送ってくれた家族や親戚。
声をかけてくれた先輩。
仕事を任せてくれた人たち。
運にも、環境にも、人にも恵まれました。
好きなことをして暮らせる今に、
感謝しています。
自分も、相手も、楽しく。
仕事でも、家族や友達との時間でも。
よかったら、
あなたのお話も聞かせてください。
Yoraku
センスのない子供が、
デザイナーになった話。
最後まで読んでくださって、
ありがとうございます。
語り:Yoraku
全5章・29場面

「楽しいを与え合い、


Yoraku(與楽)にも含まれる「楽」という字は、鈴を鳴らす様子から生まれたとも言われています。
鈴の音は、人を楽しませ、苦しみをほどくものとして大切にされてきました。
楽しさも、安らぎも、かつては音の響きとともにありました。
Yoraku は、この「楽」に宿る鈴のイメージを、ロゴのモチーフにしています。

仏教には、祈りの場で使われてきた鈴があります。
そのひとつが「宝珠鈴(ほうじゅれい)」です。
宝珠鈴は、幸せや豊かさを象徴する仏さま「宝生如来(ほうしょうにょらい)」と関わりのある鈴とされています。
鈴の先にある「宝珠」は、願いが実り、幸せへと向かうことを象徴する宝の珠(たま)。
Yoraku のロゴは、「楽しいを、与え合う」という Yoraku の想いと重ね、この宝珠鈴をモチーフにデザインしています。

千葉県長生郡長南町、笠森観音(笠森寺)。その境内に「與楽の鐘」があります。
お寺を訪れた日、思いがけずこの鐘に出会いました。縁を感じた理由は、二つあります。
ひとつは、鐘の名「與楽」に、與座の「與」の字が使われていたこと。
もうひとつは、私が沖縄の出身であり、鐘のそばに沖縄の慰霊碑が置かれていたこと。
屋号 Yoraku と同じ名を抱く鐘との巡り合わせに、確かな縁を感じています。

誰もが、より自由に、より楽しく生きていける世界。

得意なことをする楽しさ。
得意なことで、誰かに喜んでもらえるうれしさ。
お互いの得意で支え合う。
そんな関わりが広がれば、一人ひとりの毎日はより楽しく、世の中はより豊かになっていく。

あなたのやりたいことや、お困りごとを伺います。
どうすれば実現できるか、解決できるかを一緒に考え、Yorakuの得意なデザインで進めていきます。
打ち合わせの時間も、つくる時間も、ともに楽しみ、
できあがったものを通じて、「楽しい」を人から人へ広げています。

相手の言葉や反応を受け取り、想い・魅力・課題を掘り下げる。「感じる」は、制作物の美しさや違和感への気づきも含む。
なぜ始めたのか、何を目指しているのか、何を大切にしているのかを伺う。意味が見えると、本質から考えられる。
相手の想いと目指すことに合う手段を探し、提案する。自分の得意な制作物へ、無理に当てはめない。
仕事では、どうすれば楽に、効率よく進められるかを考え、改善する。制作では、文章・構成・デザインを試しながら、より美しく、よりかっこよく、より伝わる形を探り、磨いていく。
自分の得意なことで相手を支える。苦手を補うこと、得意なことを一緒に磨くこと、手が回らない部分を担うことも含む。相手が楽しめる時間をつくり、自分も一緒に楽しむ。
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