ABOUT

Yoraku について

代表あいさつ

代表 與座 範仁
はじめまして。
代表の與座(よざ)です。趣味お笑い・漫画・飲み会

ホームページを見ていただき、ありがとうございます!

打ち合わせでは、お仕事のことから、会社の歴史、これからやってみたいことまで、いろんなお話を伺っています。ご本人には当たり前でも、私にはすごく魅力的に感じることがよくあります。

あなたらしい表現と、無理のない方法で進めることを大切にしています。

つくりたいものがある方も、何から始めようか考えている方も。
まずは、お気軽にお話しください。

どうぞよろしくお願いします😁

與座

Yoraku の物語

表紙。「センスのない子供が、デザイナーになった話。」の文字と、青い地に、壁当てをする子ども・漫画を読む少年・美術館で写真を撮る子ども・猫の絵を見せる学生・パンを焼く職人・お客さんと打ち合わせる私の6つの場面が、点線の矢印でつながっている。

第1章

センスがない。
そのはずだった。

父と子どもの私。描いた絵を前に父に話しかけられ、私は少し戸惑いながら聞いている。
白いTシャツの少年が絵を描き、その長い紙の先で紺色の服を着た大人の私が色や写真を並べている。

子どもの頃、父によく言われた。

「お前は、センスがない」

中学・高校では、絵も文章も下手だと笑われていました。

それが今は、デザイナー。
見た目も、言葉も考える仕事です。

人生は、面白い。

教室で猫の絵を見せて先生や友達と笑う私。笑顔のそばには、将来を思う暗い雲が浮かんでいる。

自分自身でも、自分の日本語にはおかしなところがあるし、絵も上手でないことは分かっていました。

学校の授業で、先生やクラスメイトに笑われても、ウケているので嫌ではなくて。
私も、一緒に笑っていました。

でも、社会に出たら、何ができるんだろう。
何の役にも立てないんじゃないか。

そこは笑って済ませられず、内心は不安でした。

沖縄からアメリカへ学びに行く高校時代の私。鞄と本を持った姿と、異なる学校の風景を、移動のイメージとして描いている。

高校は、沖縄で。
在学中にアメリカへ交換留学し、沖縄へ戻って卒業しました。

絵は下手だし、デザインやアートは別世界。
美大や専門学校に行く発想は、ありませんでした。

やりたい仕事は、まだないまま。
日本にあるアメリカの大学へ進みました。

事務の机で書類を手にした私が、同じ職場で写真や色を組み合わせるデザイン部の仕事を振り向いて見ている。

大学では、学費の高さも気になりました。
やりたいこともなかったので、在学費のかからない大学に転学し、そのまま休学しました。

大学に通わないのは不安でしたが、休学して就職しました。

事務員として入った会社には、たまたまデザイン部がありました。

遠いと思っていた世界が、同じ会社の中に。

初めて作った写真と色のバナーを画面で見て、私が驚きながら笑う。隣では先輩が見守っている。

あるとき、先輩に声をかけてもらいました。

「バナー、作ってみる?」

初めて、つくってみました。

あれ、できた。
しかも、楽しい。

別世界の人がやる仕事だと思っていたのに。
自分にも、こういうものがつくれるんだ。

小さな机の上のノートパソコン。画面には色とりどりのバナー。そばにコーヒーと色鉛筆

第2章

場所が変わると、
見えるものも変わる。

漫画やボールなど、好きなものに囲まれて過ごす少年の私。
荷物の箱を抱えた転校生の私を、校庭でボールを持った子や新しい友達が笑顔で迎える。

少し、話を巻き戻します。

30歳までに、30回以上、引っ越しをしてきました。

沖縄で生まれ、福岡で小学校に入学。
1年生の途中で、沖縄へ戻りました。

ドッジボールのルールも、体操服も、粘土の色も違う。

生まれた場所なのに、私も転校生でした。

サウジアラビアの日本人学校で、落ち着いて学ぶ子どもたちと同じ教室にいる小学4年生頃の私。

小学4年生の頃、沖縄からサウジアラビアへ。
日本人学校に通いました。

そこで出会った子たちは、育ちがよく、真面目に見えました。

同じ日本人の子どもでも、沖縄で通っていた学校とはずいぶん雰囲気が違う。
新しい友達との間にも、発見がありました。

誰もいない学校の庭で、壁に黄色いボールを投げる私。壁や地面の白い丸が、自分で考えた遊びを表す。

その後、日本人学校の生徒が、私と弟の二人になったことがあります。

弟が休むと、全校生徒は私ひとり。
遊ぶ相手がいないので、ボールで壁当て。

飽きたら、ルールを足す。
また飽きたら、遊び方を変える。

考えるのも私。遊ぶのも私。
不思議と、寂しさはそれほどありませんでした。

沖縄に戻って入った中学校の教室。紙飛行機が飛び、周りでおしゃべりが続く中、机で教科書を開いた私は戸惑っている。

サウジアラビアから戻り、沖縄の中学校へ。

私が入ったクラスは荒れていて、授業中に紙飛行機が飛んでいました。

真面目なのは、ダサい。
その教室には、そんな空気がありました。

サウジで出会った子たちとは、ずいぶん違う。
どう振る舞えばいいのか、戸惑いました。

トルコのインターナショナルスクールに通う中学生の私。言葉が分からず戸惑う時間と、友達と過ごす時間を、学校の小景として描いている。

中学2年生からは、トルコに引っ越し、インターナショナルスクールに通いました。

今度は、言葉も通じません。
人種を理由に、嫌な思いをしたこともありました。

それでも、どの土地でも、気づけば友達ができていました。
今もつながっている友達もいます。

合わない人や環境はあっても、引っ越しを嫌だと思ったことは、一度もありませんでした。

海外の自室で、小包から届いた漫画を開いて喜ぶ少年の私。そばには、何度も読み返す漫画が積まれている。

海外にいた頃は、いつも日本語に飢えていました。
今のように、ネットで日本の作品を楽しめる環境ではありませんでした。

持ってきた漫画を読む。
読み終わったら、また読む。

たまに、親戚のおじさんやおばさん、おじー、おばーが、新しい漫画を送ってくれました。
それが、心から楽しみでした。

漫画は、今も毎日読んでいます。

成田空港から都内へ向かう電車の中で、少年の私が車内の日本語広告や窓の外の看板をうれしそうに眺める。近くでは乗客が話している。

日本に帰国して、空港から移動する電車の中。

車内の広告も、周りの人たちの会話も。
窓の外を流れる看板も。

全部、日本語!
それだけで、大喜びでした。

看板にまで喜べるくらいに。

沖縄の高校の教室で、猫の絵を見せて友達と笑う私。その奥では、同じ高校時代の私が色や形を並べた資料を発表し、先生が見守る。

高校時代、絵しりとりをしたときのこと。
絵は下手でも、何を描いたかは伝わっていました。

今思えば、そこにはデザインとつながるものがあったのかもしれません。

授業でつくったパワーポイントの資料も、見た目を先生や先輩に褒めてもらいました。

でも当時は、自分では周りと変わらないと思っていました。

静かな夜、パソコンで感じたことや思ったことを書き綴る私。頭の中のもつれた考えが、言葉の行に整理されていく様子。

今も時々、パソコンで日記のように文章を書きます。

感じたこと、思ったこと。
心の中に、溜まったこと。

書き綴っているうちに、頭の中が少しずつ整理されていきます。

読むのが好きで、書くことも続いていた。
言葉の感覚は、そんな時間の中で育ってきたのだと思います。

開いたノートとペン。そばに積んだ漫画と、湯気の立つお茶

第3章

つくっていたら、
道ができた。

写真、映像、図形、パソコンを広げ、制作を楽しむ私。
書きかけのノートのそばに、ガラケー、写真を表示したスマホ、初めての一眼レフ、母から受け取った封筒が並ぶ。

写真も、趣味でした。
ガラケーやスマホで、撮っては編集していました。

あるとき、母が、祖母からこっそり預かっていたお金を渡してくれました。

そのお金で、はじめての一眼レフを買いました。

写真から、動画へ。
楽しんでつくるうちに、街で広告を見かけると、自分でもつくれるかもしれないと思うようになりました。

美術館で、父が見守るそば、子どもの私が父のビデオカメラを両手で持ち、撮影をまねしている。

そういえば、父は美術館や博物館へよく連れて行ってくれました。

「センスがない」と言っていた、あの父です。

昔のホームビデオには、父のカメラを借りて、真似をして撮る私が映っています。

見ることも、撮ることも。
仕事になるずっと前から、身近にありました。

作品を抱えた私と、展示を眺める人たち。奥には、映像作品が上映されている。

事務の仕事を辞め、専門スクールへ。
作品をつくっては、発表するようになりました。

個展を開く。
美術館で展示する。
映画祭で上映する。

楽しくてつくったものを、誰かが見てくれる。

別世界だと思っていたデザインやアート。
気づけば、私もその中にいました。

大学院のゼミで、私が写真や図形をまとめた作品集を広げる。先生と大人の学生たちが興味深そうに見ている。

大学は卒業していません。
でも、大学院には入れました。

続けてきた制作活動を認めてもらい、特待生として。

クリエイティブも、ビジネスも学べる。
自分に合う学校に出会えました。

大学を休むときには不安だったけれど、つくってきたものが、次の道につながりました。

昼は仕事、夜は大学院で学ぶ私。卒業証書のケースと事業の資料を前に、経営には戸惑いながら苦笑いしている。

昼は広告の仕事、夜と休日は大学院へ。

経営者の先生やクラスメイトに刺激を受け、在学中に会社もつくりました。

大学院は、卒業できました。

会社の経営は……まったくダメでした。笑

パン屋の厨房で、並んだパンを数えながら首をかしげる私。隣では店長が笑顔で見ている。

学生時代、パン屋さんで働いたこともあります。
誰がやっても、3時間はかかる作業がありました。

慣れて工程を工夫するうちに、2時間で終わるように。
店長に驚かれ、進め方を聞かれました。

工程を工夫するのは得意。
でも、パンの数を数えるのは苦手で、よく間違えていました 笑

自分の作品を載せたホームページを前に考える私。画面からさまざまなページが広がり、お客さんと笑顔で話している。

会社に勤めていた頃も、個人で制作を続けていました。
作品を紹介したくて、ホームページもつくりました。

その中でホームページのつくり方を学び、お客さんのホームページもつくるようになりました。

コードやプログラムを書くことは苦手ですが、AIや技術の進歩にも助けられながら、できることが年々増えています。

ホームページの画面が映るノートパソコンと、画面を指さす小さなロボット

第4章

好きなことで、
ご飯を食べたい。

自分の制作物を手に、街で相手に仕事を紹介する私。
青い夜の部屋で、私が白紙の紙を前にひと息ついている。机の明かりが手元を照らす。

これまでには、体調を崩して寝込んでいたこともあります。

お腹いっぱいに、ご飯を食べられない時期もありました。

失敗したり、人前で恥をかいたり。
楽しいことばかりではありませんでした。

今振り返ると、成長できてきたのは、そういう苦い経験があったからだと思います。

朝の光が差しこむ畳の部屋。ちゃぶ台の上には、おにぎりが1つと水だけ。お腹が鳴る私が、デザインのソフトとAIが映るパソコンに、明るい顔で向かっている。

そんな時期でも、AIやデザインソフトには、毎月お金を払い続けていました。

食べるものを我慢しても、
つくるための道具は、手放せませんでした。

どうせ、これから生きていくなら。

やりたいことで、生きていきたい。

あの頃、そう思ったのです。

カメラ、漫画、パソコン、パンに囲まれた机で、私が図形を描きながら次にやってみたいことを考えている。

やめたことも、やってみたことも、たくさんあります。

気になるから、やってみる。
「挑戦」のつもりはなく、そのとき一番納得できる方を選んできました。

やりたくないことを続けるくらいなら、空腹を選んでしまう。
でも、お腹はやっぱり減ります。

好きなことを続けて、ご飯も食べたい。
その方法を考えてきました。

千葉の住宅街でチラシを持って歩く私。店や家で大人たちに仕事を紹介したあと、彼女と並んで笑顔で歩く。

彼女を追いかけて、千葉県茂原市へ。
独立したばかりの頃、この土地に知り合いはまったくいませんでした。

チラシを手に、飛び込み営業。
知らない人に、自分の仕事を伝えて回りました。

少しずつ依頼が増え、紹介や口コミで次の仕事へ。
この土地にも、知り合いが増えました。

今は、好きなことや得意なことで、暮らしていけています。

第5章

自分も、相手も、
楽しく。

写真や色紙を囲み、大人の友人や仕事相手と一緒に楽しむ私。
打ち合わせで、私がお客さんの話を笑顔で聞いている。テーブルにはデザイン案、ノートパソコンと飲み物が並ぶ。

ホームページをつくるようになって、お客さんや、その会社のことを、もっと深く聞くようになりました。

何を大切にしてきたのか。
何に困っていて、これから何をしたいのか。

人の話を聞くのは好き。でも、会うときは緊張します。
好きなら平気、とはいかないようです。

相手に楽しんでもらおうと思うと、自分も少し楽になります。

写真や色や形を机に広げ、お客さんと一緒に組み替える私。背景には、かつて暮らしたさまざまな街の風景が浮かぶ。

話を聞くほど、提案も、相談されることも広がりました。
制作の相談から、事業の相談へ。

今は、何をつくるかも、どう進めるかも、一緒に考える。
その人に合う方法で、事業を支える仕事も増えました。

一つの見方にとらわれない。
いろいろな土地で、人や考え方に出会った経験も、ここにつながっている気がします。

相手の役に立てると、やっぱりうれしいです。

緑深い木々の中で鐘を見上げる私。木漏れ日と金色の光が、鐘へ向かって伸びている。

千葉の笠森観音で、「與楽の鐘」に出会いました。
「與」は、私の名字「與座」と同じ字です。

仏教の言葉「抜ばっ苦く与よ楽らく」は、苦しみを取り除き、楽を与えること。

困っていることを少し軽くして、一緒に楽しめたら。
そんな仕事をしていきたい。

名字の「與座」と「与楽」を重ねて、Yorakuと名づけました。

家族や友人、仕事で出会う人たちと、写真や色紙を囲んで笑う私。手前には、読者を迎えるように空いた椅子が一脚ある。

好きで続けたことや、自然と続いたことが、いつの間にか得意になっていました。

漫画を送ってくれた家族や親戚。
声をかけてくれた先輩。
仕事を任せてくれた人たち。

運にも、環境にも、人にも恵まれました。
好きなことをして暮らせる今に、
感謝しています。

自分も、相手も、楽しく。
仕事でも、家族や友達との時間でも。

よかったら、
あなたのお話も聞かせてください。

Yoraku

センスのない子供が、
デザイナーになった話。

最後まで読んでくださって、
ありがとうございます。

語り:Yoraku
全5章・29場面

赤いひもを結んだ金色の鈴と、小さな花

屋号「Yoraku(よらく)」の由来

静かな池に一輪の蓮の花が咲いている線画。花の中心だけが金色

「楽しいを与え合い、広げていく」

言葉
由来は、仏教の言葉「抜ばっ苦く與よ楽らく」です。苦しみを抜き、楽を与える。そんな意味を持つ言葉です。
與=与
どちらも同じ意味の漢字です。「與」の新漢字が「与」です。
願い
Yorakuは、抜苦與楽の「楽」を「楽しい」と解釈することにしました。與座が、楽しいをつくる。あなたと、楽しいを与え合い、広げていく。そんな願いを込めています。
01
鈴を両手で鳴らす人の姿 ──「楽」という字の由来

「楽」という字

Yoraku(與楽)にも含まれる「楽」という字は、鈴を鳴らす様子から生まれたとも言われています。

鈴の音は、人を楽しませ、苦しみをほどくものとして大切にされてきました。

楽しさも、安らぎも、かつては音の響きとともにありました。

Yoraku は、この「楽」に宿る鈴のイメージを、ロゴのモチーフにしています。

02
宝珠鈴 ── 宝生如来の金剛鈴

幸せを象徴する鈴

仏教には、祈りの場で使われてきた鈴があります。
そのひとつが「宝珠鈴(ほうじゅれい)」です。

宝珠鈴は、幸せや豊かさを象徴する仏さま「宝生如来(ほうしょうにょらい)」と関わりのある鈴とされています。

鈴の先にある「宝珠」は、願いが実り、幸せへと向かうことを象徴する宝の珠(たま)。

Yoraku のロゴは、「楽しいを、与え合う」という Yoraku の想いと重ね、この宝珠鈴をモチーフにデザインしています。

03
笠森観音の與楽の鐘(鐘楼)

與楽の鐘

千葉県長生郡長南町、笠森観音(笠森寺)。その境内に「與楽の鐘」があります。

お寺を訪れた日、思いがけずこの鐘に出会いました。縁を感じた理由は、二つあります。

ひとつは、鐘の名「與楽」に、與座の「與」の字が使われていたこと。

もうひとつは、私が沖縄の出身であり、鐘のそばに沖縄の慰霊碑が置かれていたこと。

屋号 Yoraku と同じ名を抱く鐘との巡り合わせに、確かな縁を感じています。

価値観

町のお祭りで、いろんな年の人たちと犬が楽しんでいる絵

WHAT目指している世界

誰もが、より自由に、より楽しく生きていける世界。

得意なことでつくった物を、輪になって渡し合う人たちの絵

WHY目指している理由

得意なことをする楽しさ。

得意なことで、誰かに喜んでもらえるうれしさ。

お互いの得意で支え合う。

そんな関わりが広がれば、一人ひとりの毎日はより楽しく、世の中はより豊かになっていく。

お店の人と笑いながら、一緒にデザインを考えている絵

HOWYorakuがやっていること

あなたのやりたいことや、お困りごとを伺います。

どうすれば実現できるか、解決できるかを一緒に考え、Yorakuの得意なデザインで進めていきます。

打ち合わせの時間も、つくる時間も、ともに楽しみ、
できあがったものを通じて、「楽しい」を人から人へ広げています。

お店の人の話を、身を乗り出して聞いている絵

VALUES大切にしていること

  1. 01聞き、感じ、ともに考える。

    相手の言葉や反応を受け取り、想い・魅力・課題を掘り下げる。「感じる」は、制作物の美しさや違和感への気づきも含む。

  2. 02想いと原点を伺う。

    なぜ始めたのか、何を目指しているのか、何を大切にしているのかを伺う。意味が見えると、本質から考えられる。

  3. 03目的に合った方法を提案する。

    相手の想いと目指すことに合う手段を探し、提案する。自分の得意な制作物へ、無理に当てはめない。

  4. 04仕事は改善し、制作は美しさを磨く。

    仕事では、どうすれば楽に、効率よく進められるかを考え、改善する。制作では、文章・構成・デザインを試しながら、より美しく、よりかっこよく、より伝わる形を探り、磨いていく。

  5. 05自分の得意で、相手を支え、ともに楽しむ。

    自分の得意なことで相手を支える。苦手を補うこと、得意なことを一緒に磨くこと、手が回らない部分を担うことも含む。相手が楽しめる時間をつくり、自分も一緒に楽しむ。

事業情報

屋号
noeffort(「Yoraku(よらく)」に変更予定)
代表
與座 範仁(よざ のりひと)
所在地
千葉県茂原市
電話
090-7924-1913
メール
yoraku.art@gmail.com
事業内容
ホームページ・広告の企画制作(ロゴ・写真・動画・名刺・チラシ・パンフ)、AI研修・家庭教師
対応エリア
千葉県・東京都を中心に、全国対応
所属団体
茂原商工会議所/長生村商工会

ご相談はこちらから

電話・メール・Instagram、どれからでもどうぞ。

対応エリア千葉県・東京都を中心に、全国対応。オンラインもOK!初回はなるべく直接お会いしています。