はじめに
沖縄に生まれて、国内外を転々とする中で、気づけば30歳で、30回以上、引越してきました。
幼少期は、コミュニケーションに、ずいぶん苦労しました。
小学校は、福岡で入学。1年生の途中で沖縄に転校しましたが、ドッジボールのルール、体育の技、粘土の色——いろんなものが違って、遊びに混ぜてもらえないこともありました。当時はまだ、県外から来た人を「ないちゃー」と呼んで警戒する風潮が、残っていたんです。
與こんにちは。
代表の與座(よざ)です。
HPを見てくださって、ありがとうございます。
私は子供の頃から物作りが好きで、今でも気付くと、何か作っています。
なので、このデザインの仕事も楽しくて、好きです。
人と話すことが趣味で、宗教、国籍、年齢問わず、経営者からニートまで、いろんな友達がいます。
相手を否定せず、物事を多様な角度から捉えることを心がけています。
どうぞよろしくお願いします^^
はじめに
沖縄に生まれて、国内外を転々とする中で、気づけば30歳で、30回以上、引越してきました。
幼少期は、コミュニケーションに、ずいぶん苦労しました。
小学校は、福岡で入学。1年生の途中で沖縄に転校しましたが、ドッジボールのルール、体育の技、粘土の色——いろんなものが違って、遊びに混ぜてもらえないこともありました。当時はまだ、県外から来た人を「ないちゃー」と呼んで警戒する風潮が、残っていたんです。
サウジアラビア
そのあとは、サウジアラビアへ。
日本人学校のクラスメイトは、日本では私立に通う子たち。先生は全国から集まり、友達の親は商社マンや外交官。子どもながら、どこか違和感を覚えていました。
それでも学校の外では、言葉が通じない現地の子どもたちと、自然と友達になっていました。
大人になって思うのは、日本人学校の子たちは、もともと合わないタイプが多かったということ。でも仲が悪くなったわけではなく、今もつながっています。特に、当時の担任の先生や、お世話になった大人たちとは。
沖縄、そしてトルコ
サウジの小学校を卒業して、沖縄に戻りました。
中学校は、紙飛行機が飛び、先生が救急車で運ばれ、先輩が集金している——とにかく荒れていました。授業を真面目に受けること、勉強することが「カッコ悪い」とされる場所。日本人学校とのギャップに、戸惑い、苦しみました。それでも友達はできて、今もつながっています。
中学2年からは、トルコのインターナショナルスクールへ。文化・人種・宗教の違い。日本人だとなめられることもありました。それでも、また自然と友達ができて、今もつながっています。
そして、今
幼少期は父の転勤で。大人になってからも、なぜか引越しは続いています。ちなみに、日本一周も経験しました。
——そうやって、まるで違う世界を、行き来してきたんです。
それでも、時には苦しい思いをしながらも、言葉が通じなくても、文化が違っても、どの土地でも、自然と友達はできています。
そうして培ってきた「楽しみを見つける・つくる力」と「相手を知ろうとする力」が、そのまま今の仕事につながっていると思います。

01
子供の頃から、作るのが好きでした。父のカメラを真似て回し、美術館や博物館へよく連れて行ってもらう。「美しいものが好き」の原点は、たぶんこの頃です。転校の多い子供でしたが、はじめての土地でも、なぜか友達ができました。

02
高校生になっても、デザインを仕事にするなんて発想はゼロ。普通の会社員になるんだと思っていました。
大学に進学したものの、学費は高く、夢も目標も特にない。先の分からない人生に不安を感じ始めました。

03
大学を休学し、事務員として入った会社に、たまたまデザイン部がありました。「バナーってこう作るんだよ。やってみる?」——やってみたら、意外とできた。しかも、楽しかった。デザインは、特別な人だけのものじゃない。普通の自分にも、作れるんだ と。

04
ちょうど同じ頃、母が祖母からこっそり預かっていたお金で、はじめて自分のカメラ(Nikon D5500)を持ちました。デザインやアートへ進む、大きな転機です。
この頃から、都市と地方の"差"のような、いろんな違和感が気になって仕方なかった。土地を転々とするたび「なんで、ここではこうなんだ?」と問い続けてきたからかもしれません。その"違和感"と"なぜ"は、今、街の看板やお店やHPを見て「もったいない、もっとよくできるのに」と気づく目に、つながっています。

05
友達と個展をしたり、美術館やイベントで展示したり、専門スクールに通ったり。「アートとは? デザインとは? そもそも美しいって?」——問いは尽きませんでした。
個展に友達が来て、応援してくれた日。自分がここにいていいんだと、心から思えた瞬間でした。

06
活動や実績が認められ、広告代理店で働きながら、特待生として大学院へ。日中は働き、夜間と休日は学ぶ日々。教室には経営者も多く、「会社は、誰でも起こせる」と知りました。
刺激を受けて在学中に起業したものの、うまくいきませんでした(笑)。心が沈んだ時期も、ありました。それでもマイペースに手を動かすうち、仕事は少しずつ増えていきました。

07
最初の屋号はnoeffort(ノーエフォート)。"自然体が、誰かのためになる"。好きなことを努力と感じない、という意味でした。でも、読んでもらえないし、覚えてもらえない(笑)。
今は、与楽(Yoraku)。苦しみを抜いて、楽しさを与え合う——抜苦与楽から。気づくといつも何かを作っている自分に、この名前はしっくりきました。

08
Yoraku が大切にしているのは、まず友達になること。その関係からしか生まれないアイデアがあると思っています。
飾るより、あなたの内側にある魅力を、一緒に引き出したい。渡したいのは、楽しさと、美しさ。いつか、家族や友達と、笑顔と笑いに包まれる場所を——少しずつ、増やしていけたら。
楽しいを、与え合う世界。
—— Yoraku
由来は、仏教の言葉
「抜苦与楽(ばっくよらく)」です。
苦しみを抜き、楽を与える。
そんな意味を持つ言葉です。
Yoraku では、この「楽」を、
「楽しい」という意味で受け取ります。
代表の名字「與座」の「與」は、
「与」の旧漢字です。
楽を与える、与楽、與楽。
與座 ── 与楽 ── Yoraku
與座が、楽しいをつくる。
お互いに、楽しいを与え合い、広げていく。
そんな願いを込めた名前です。
