「んー!んー!」
1歳の子どもが、ウクレレを差し出しながらやってくる。受け取ると、今度はウクレレを指さして、また「んー!んー!」。早く弾け、ということらしい。まだ言葉は出ないのに、言いたいことははっきり伝わってくる。笑ってしまう。

ただ、ひとつ問題がある。自分はウクレレが弾けない。
コードもわからないので、とりあえず弦を指で鳴らす。ポロンと音が出たら、そのまま適当に歌う。
「〇〇ちゃん、おはよー。今日は晴れてて気持ちいいね。〇〇ちゃん、今日もかわいいね〜♪」
曲でもなんでもない。その場で浮かんだことを、そのまま声にのせているだけだ。
それなのに子どもは手を叩いて喜び、体を揺らして踊り出す。その姿が愛おしくてたまらない。

自分は弾けていない。でも、子どもからすると弾けているらしい。
このズレが、なんだか面白い。
この話を友人にしたら、こんなことを言われた。
「他のお父さんなら、弾けないからって手に取らないかもしれない。そこがあなたの良さだよ」と。
言われてみればそうかもしれない。
弾けないから触らない、という選択もある。むしろそっちのほうが自然だ。自分はたまたま、弾けないまま鳴らしてしまっただけ。
そして友人は、こうも続けた。仕事でも同じで、この「できる・できない」の差こそが、大きなニーズにつながるのだと。
自分にとっては当たり前にやってしまうことが、誰かにとってはハードルが高い。その差のぶんだけ、価値が生まれる。逆に、自分が苦手で手が出せないことを、軽々とやってのける人もいる。だからこそ仕事が成り立つ。
うまいかどうかより先に、やるかどうか。
自分がずっと弾けないままでも、子どもがあの顔で喜んでくれるなら、それで十分な気がしている。
今日もまた、「んー!んー!」とウクレレを抱えてやってくるのだろう。
相変わらず弾けないまま、適当な歌で応えることになる。
